図書紹介

『二人のアキラ、美枝子の山』                      

               平塚 品人著  文芸春秋社 2004年7月
                    318頁   2095円+税

          金井健二


 かねてから宗實さんご推奨の「二人のアキラ」 ではあったが、読んだのはようやく今年の3月になってからだった。迂闊なことに、本を手にして初めて表題に「美枝子の山」 がついていることに気がついた。

 「二人のアキラ」が伝説の先鋭的クライマー松涛明氏と第二次RCCの創設者奥山章氏であることは聞いていたが、「美枝子の山」 については何も知らなかった。著者の平塚晶人氏と山田(芳田) 美枝子さんとの往復書簡の形で構成されたこの本は、まことに興味深く、これはなかなか読み応えのある力作だと思った。

 ロマンを追い求めたやや破滅型の二人の登山家がこだわった男の美学と、その二人にかかわった一人の女性の物語であるが、「美枝子」さんなる女性の凛とした生き方には大きな感銘を受けた。従って、この本の表題は「美枝子の山、二人のアキラ」 の方がよかったような気がしている。

 ところどころに同時代の私の記憶とダブる記述もあり、三人の登場人物のうちでは、特に松涛明という「名前」が古くから私の心の片隅にあった。『風雪のビバーク』 がもちろん有名ではあるが、この名前には、それ以前の個人的な思い出もあるので、この本にかかわる私の古い記憶を順に思い起こしてみた。

 敗戦後の学制改革で、現在の大学が発足したのは昭和24年であるが、これに先立ち、昭和22年には新制中学がスタートし、翌23年に、旧制中学は新制高校に衣替えをしていた。戦後いち早く復活していた関西学生山岳連盟は、従来の大学・高専に加えて、この新制高校の山岳部も加盟させることを決め、昭和23年の秋、神戸、阪神間ではその傘下としての神戸セクションという組織が発足した。

旗を振ったのは神戸工専 (現在の工学部) のリーダーだった森正幸さんだった。昭和24年の春、この神戸セクションは、神戸工専、旧制甲南高校、神戸経済大学予科、新制報徳商業高校、新制灘高校という混成パーティを組んで北鎌尾根に行った。宗實二郎さんと私は新制高校組のメンバーだったが、このとき、リーダーの森さんから松涛明という先鋭的なクライマーがこの1月に北鎌尾根で行方不明となり、遺体もまだ発見されていないという話を聞かされた。

 このパーティが猛風雪で独標付近から追い返され、北鎌沢のコルのテントを撤収して天上沢の炭焼き小屋のベースに戻ってきたとき、関西登高会のパーティが上がってきた。広瀬文雄さんをリーダーとした浅野清彦さん、木村泉三郎さんの三人パーティだった。「君等(私たち駆け出しの高校生四人) が元気なので安心した」「湯俣〜天上沢は君等のつけたラッセル済みのルートがあったので助かった」との浅野さんのコメントを今でも記憶している。この関西登高会のパーティが第三岩峰で松涛さんの遺品を発見したとの記述があつた。

 この年の夏には、この神戸セクションの高校の数校で涸沢合宿をした。あまりの楽しさに去りがたく、芦屋高と灘高の計6人が最後まで居残っていたが、たまたま同じ涸沢で玉野女子高のパーティ (JACから川森佐智子、新村正一、網倉志郎、吉田元の四氏が派遣されていた)が合宿をしていた。山から帰りたくない私たちは、新村さんの斡旋で、この女子高パーティの山行の助手を務め、最後は槍への縦走のお供もした。槍ヶ岳の頂上から夏の北鎌尾根を眺めたとき、新村さんから先頃松涛さんの遺体が発見され、遭難の経緯を記した遺書も同時に発見されたという印象的な話を聞いた。

 遺書発見ということを特に印象深く感じたのは春の北鎌尾根から帰って間もなく観た英国映画「南極のスコット」に感激していた故でもあったと思う。間もなく、松涛さんの彼女が徳沢で待つていたというロマンティックな噂も聞いた。本の中には「七月、千丈沢四ノ沢の出合で遺体発見」と記述されていた。

 昭和28年夏、大学山岳部の北岳の合宿でバットレスの第四尾根を登ったとき、上部の草つきで海苔の佃煮の空ビンに入った「登歩渓流会 松涛明」という名刺を発見、大切にポケットにしまったはずであったが、同日に第二尾根で起こった部員の遭難事故の収容作業に追われている間に紛失してしまった。

 井上靖氏の小説「氷壁」(朝日新聞連載)を読んだとき、これは、松涛明氏の遭難と後年のナイロンザイル切断事故をモデルにしている小説だと直感した。

 「噂の彼女」もちゃんと登場していたからである。因みに「氷壁」は大映で映画化されたのですぐ観に行った(昭和33年ころ)。主人公は菅原謙二、小説上のヒロインが山本富士子、ナイロンザイル切断事故でのパートナーは川崎敬三、そして「噂の彼女」は野添ひとみ、という配役だったと記憶する。

 昭和35年ころ、安川茂雄さん(″霧の山″など2、3冊の著書を読んだ)の本の中で、「氷壁」という小説の素材「松涛明の遭難と噂の彼女、ナイロンザイル事件」は、自分の筆力では小説にこなしきれないと思い、井上靖さんに提供したという意味の記述を読んだ。

 奥山章さんについては、第二次RCCの世話人ということで、今井通子さんがアイガー北壁を登った翌年の日山協の海外登山研究会で、この登撃に関する彼の話を聞いた。

 以上が『二人のアキラ、美枝子の山』にまつわる私のとりとめのない記憶であるが、美枝子さんの実像については、もちろん全く知らなかったし、「美枝子」が、徳沢で松涛さんを待っていたという噂の彼女ということも読み始めて初めて知り、この本の表題にも合点がいった次第であった。この本を読んで、美枝子さん自身の山への思い、松涛、奥山両氏との出会いや、松涛さんが北鎌尾根に行き、奥山さんが第2次RCCを立ち上げた経緯なども改めて詳しく知ることができたと思う。岩崎元郎さんが「知っておいていい登山史の貴重な一片である。」と評していたのにも全く同感である。


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