好日山荘は大正13年に西岡一雄(以下敬称略)によって、山とスキーの運動具店として大阪で創設された。この時代は槇有恒や松方三郎がヨーロッパから新しい技術と登山装備を日本に持ち帰った時代である。それまでのカンジキ、ワラジから、ピッケル、アイゼンの時代に移行するまさに日本の近代登山の黎明期であり、そういう時代の流れに呼応して西岡は多くの登山とスキーの道具を作った。
それ以後、好日山荘は戦争をはさんで、戦前、戦後と我が国の登山とスキーの発展に大きく貢献してきた。著者大賀寿二は、昭和16年に入店し、西岡に師事した。西岡が昭和39年に亡くなった後も、店の経営に当った。
しかし時代の流れに抗しきれず、平成13年に店を閉める(著者は平成10年に退職)。
本書はこの間の様々な経緯を、上下2巻にわたって詳しく書いたものである。しかし単なる登山道具の変遷を書いたものではない。登山黎明期から最近までの約80年間の登山史を、山道具、スキー道具などを縦糸にし、それを世に出し改良した岳人との関係を横糸にして綴ったものである。そこに関わった有名無名のなつかしい人々が登場し、著者の内外に及ぶ人脈の広さに興味をそそられる。珍しい写真と共に、記憶力のすばらしさに驚く。
山之内と門田のピッケルを世に出し、関西学生山岳連盟のたちあげに協力し、雑誌ケルンの創刊に関与するなど戦前のエピソードの次に、戦争中の話がくる。親しかった友人知人の招集、切符も統制下にあったときの山登り、その頃店の前にあった関西支部の様子など、興味ある話が続く。大阪大空襲にあったが幸い店は焼け残った。
焼け跡からの復興も大変であつた。それでも戦後いち早くザイル、カラビナ、ハーケンを作って、岳人の要望に応えた。進駐軍放出の寝袋の話などは、その頃やっと登山をはじめた私にとって、なつかしい話である。
今では若い人はしらない山靴の鋲とその打ち方、京大の冬季白頭山 (昭和9年)や、大興安嶺探検(昭和17年)、立教のナンダコット (昭和11年) などの装備など、今知ろうと思ってもなかなか分からないことが書かれてあり、貴重な記録となっている。
戦後の京大チョゴリザ登山隊をはじめ、関西から出た多くの遠征隊の装備を支えた話や、南極、万博、札幌冬季オリンピックなどのエピソード、ザイルやピッケルシャフトの強度テスト、人工岩、メタルスキーの導入、多くの人との交友録、そして最近の新しい装備関係に至るまで、話題は山積し、あらためて著者の幅広い活動を知る。個人的にも思わぬところで知人の名前が登場するなど、驚きと懐かしさに、上下巻とも巻をおく時間も惜しく、一気に読ませる好著である。
我が国のヒマラヤ登山の成功を支えたのは、装備の開発に努力された若者をはじめとする多くの人の努力に負うところが多い、ということを、あらためて深く実感した。
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