前書きの中で大森氏はつぎのように書いている。「日本の山は季節によってその魅力をいくつにも変えるが、そうした山からはまた、季節の彩りを鮮やかに描き出したり、的確に表現したりして、山の雰囲気を爽やかに伝えてくれる文章がたくさん生まれている。そうした豊かな世界を、季節を追ってたのしんでみたい」と。季節ごとの味わい方を示す歳時記の発想がユニークである。
山の愛好家には、すぐれた文章を書く人が多い。著者もそのおひとり。書籍の編集をしながら、内外の山の本に目を通してこられた方である。私よりも一世代上だから、著者が現役のころは、この本に登場する山の本を書かれた先輩たちはまだまだお元気なころであったとおもう。
春の季節に登場する加藤泰安氏も、そんな中のおひとりだった。私の学生時代、雪崩の研究会がルーム主催で開かれた。加藤さんは聴講する側で出席されていたが、いかにも旧制高校卒業生風の、白髪の大人(たいじん)といった印象だった。憶えているのは、海外遠征から帰るたびに、山から街へ下りて、赤い火青い火の灯る危険なところへ寄ってきたのでは、と奥様に詰問されて弱ったよ、といったたわいのない話である。
また、秋の季節に登場する、冠松次郎氏で思い出したのは30年ほど前に、大学の山仲間とK2へいったときのことである。
私が携えた数少ない本の中に冠さんの名著『黒部渓谷』 があった。なぜ 『黒部渓谷』だったのか。ことの次第は、資金集めをせねばと先輩をとおして某経済団体につないでいただいたときのことである。たまたまその団体の会長をしていた方の会社の秘書室長のお名前が冠姓だった。最初の名刺交換では何も感じなかったが、その後なんとも手際よく、会員各社の皆様から多額のご寄付を頂戴できることになった。行き届いた配慮に、もしかすると山とご縁のある」方かもしれないと気づき、出発前、わが隊の隊長とお礼に伺った折「あなたさまは‥」とお尋ねすると、そのかたはまさしく冠松次郎さんの直縁に当たられることがわかった。そんなご縁で、私は二人の冠さまへの、せめてもの御恩返しに、と 『黒部渓谷』の復刻版をサボイア氷河のベースキャンプまで持ち上げた。
いぎ登山が始まってしばらくしての休養日。氷河の上にマットを引きずり出して、神妙にご本を開いた。日差しが強いのでサングラスをつけて読み出したが、復刻版のその活字が旧かなづかい、そしてなにやら難しい漢字の多いその文章が経文のように思えて、2,3ページをめくっただけで降参してしまった。5350メートルのK2ベースキャンプでは、冠松次郎さんの達意の文章は、まったく不釣合な読み物であることを思い知らされた。軽い読み物か漫画の方が、その先数十日にもおよぶ荷揚げに備えるには都合の良い本だと気がついた。ふたりの冠さまには、ほんの少し、カラコルムの太陽光線を味わってもらっただけだった。
『山の本歳時記』を読みながら思い出したことを、思い出すままに書いた。俗っぽい話で、大森さんには申し訳ない。
さて、『山の本歳時記』の巻末には、著者が引用した作品の原著作が80冊ほど列記されている。内外の山の関係書のなかに白秋、春夫、光太郎、達治、牧水ら、わが国の近代を支えた詩人たちの著作があり、さらに茂吉や山本健吉といった伝統的な短歌俳句の世界の人たちの名前も見える。その渉猟する対象は広くそして深い。膨大な文学全体におよぶ著者の知の集積が山と文学を結ぶ。「山とは何か」という問いに対して、四季の魅力を彩る 「本の世界」に答えを見つけようとしている。『本のある山旅』(山と渓谷社、1996年)『山の旅本の旅 登る歓び、読む愉しみ』(平凡社、2007年)につづく「山と山の本のかかわりを軸とした」三部作である。
日本山岳会の毎月の会報にはしばしば、短歌や俳句が載る。
去年亡くなった俳人、飯田龍太の作品においても山は重要な位置を占めている。山と短詩型文学という切り口で、なにか新しい歳時記が展開されるのではないかと、勝手な思いつきだが、わたしは思っている。
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