第15回藤木祭
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淺野初子
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長雨の為、久しぶりの快晴に恵まれた9月28日、第15回藤木祭は開かれた。
式は恒例の式次第ですすめられた。参加120名。高座の滝の藤木九三氏レリーフ前、護摩堂から大谷茶屋まで人々々。
矢野広男は「ご長男肇氏と同じ会社の山友達だったので、お宅を訪れ、山の話を伺った。『ロックガーデンのピラーロックは英国湖水地方の岩山に似ていたから。又、マッターホルンのイタリア側の南稜に余りにもそっくりなのでイタリアンリッジと命名された。』岩は崩れて、今は無い。先生のロックカーデンの歌の一節
ああ黒岩尾根(荒地山のブラックフェースの)の岩小屋の宵 岩に抱かれて送る一夜のここちよさよ
を歌われた。
藤木摩耶子様の短歌朗詠は われ男の子 山にあるしを幸なれと ひたに慕いし 日をなつかしむ
アシヤユースコーラスの皆様と合唱したり、大津会員のリクエストの「芦屋の子守歌」を歌ったりして、楽しい集いは終った。
次年度は、9月26日。
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藤木祭記念ハイキング
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大津 陸郎
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集合地を芦屋川駅から岡本駅に変えて3回目。例によって、八幡神杜まで移動して、日本山岳会、兵庫県山岳連盟、大阪府山岳連盟、その他の班分けをし、各代表の挨拶・コース説明・諸注意のあと出発。八幡谷の右岸道を通り、通称「山の神」を過ぎ、左岸にわたり、やや登った辺りまでは昨年と同じルートである。
左(北)へ向かう昨年の七兵衛山・打越峠コースと分かれ、右へコースをとり、右にハス池を見てそこから急登の道をたどる。鉄塔を過ぎ、急登にあえぐのもほんの僅か、打越峠からの水平道と合流する。文字通り水平の道を南に行くと、ほどなく今度は保久良神社からの道と出会う。この辺まで来ると、殆どの人がよく知っているようだ。
風吹岩までの途中に424.5mの三角点(旧424.9m)があるが、これを金鳥山三角点と言って、大きな道をつけている人が居たが、名称も道つけも疑問が大きい。
風吹岩は休んでいる人が多かったので、昼食は少し下った岩見小屋跡でとった。アシヤユースコーラスに、藤木祭のコーラスで、「芦屋の子守歌」を歌ってもらえないかと頼んであったので、昼会後、我々も歌えるように、楽譜を渡し一、二回練習をした。そんなこともあって、会場へ着いたのはぎりぎりだった。1時前までに高座滝に到着しなければならないという条件のもとでは、コース選定の幅が
小さく、参加者の中には、きつく思う人も、ものたりない人も居るだろう。それでも、60名以上の大人数の割には、終始整然と行動ができたのは、参加者全員の協力があったからだろう。
【参 加】 鮎川滉 大津陸郎 斧田一陽 廣本宣郎 仲村恒明 松波幹夫 宗實二郎 山並久次
(日本山岳会員8名)
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心眼の記録 「第15回藤木祭記念誌」に想う
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仲村恒明
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過去、第10藤木祭は、平成10年9月27日(日)高座の滝で開催され雨の中「藤木先生の思い出」を語られたのが、大賀寿二会員、あれから5年の歳月がながれた今年、好天に恵まれ第15回節目の藤木祭、阿部和行支部長ほか数多くの山仲間等が集い、盛大に祭りが行われました。
当日、参加者全員に配布されたのが、大賀寿二永年会員による、第15回藤木祭記念誌「回想藤本九三先生」という冊子でした。大賀さんにとっては、屹度藤木さんとの信頼の原則が生涯の絆となって、連綿と心の中に生き続けているものと、憶います。
記念誌の内容あらましは、ご子息藤木高嶺会員の「父の想い出」話に始まり、出生地京都府福知山のことや、関西の登山界の親友、西両一雄・山口季次郎両氏のこと、藤木先生との出会い、以後先生の岳人・詩人・ジャーナリストとしての数多くの足跡など、限られた紙面に縷々記述されています。
特に藤木先生の暖い人柄や純な詩人らしい一面を表現されていて、私達の知らない藤木さんを知ることができるものとなっています。
藤木九三さんの人柄とか足跡など知らない、若者世代に対しては、ただ藤木さんをカリスマ性の中に位置づけたり、理解するのではなく、事実を史実として、的確に理解・伝承することが肝要かとおもいます。
そのためには、浅野清彦永年会員はじめ、藤木さんと交遊のあった方々には、ありし日の一人の岳人・詩人・ジャーナリストの生々しい行動の事象を、語部として、何らかの手段・方法によって記憶・記録に留めてもらいたいと念じております。
そういう意味では、大賀寿二永年会員が第15回を迎えた藤木祭記念誌として、題名「回想藤木九三先生」を、眼の不自由を克服しながら、敢えて上梓されました勇気と努力に対して、深い敬意と感謝の念を捧げます。
尚、参考迄に、「関西支部報」第92号98年12月10日刊 10〜14員をご覧くだされば、大賀さんによる、藤木九三先生の回想の一端が、伺えるとおもいます。 |
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