第8回 チロル・スキー報告

                 宗 實 二 郎

 今年はスイスのサン・モリッッで6泊5日の滞在の後、インスブルックにもどりチロルの谷で遊ぶことになった。サン・モリッツは二度の冬季オリンピックが開催され、世界的なリゾート地である。

1月23日  関空発オーストリア航空でウィーン経由インスブルックのホテル・ベンツに入る。参加者30人は、チロルスキーでの最多である。すべてのお世話をしていただいた幹事の金井さんの苦労は大変である。

1月24日 貸切りバスでサン・モリッツに向う。スイス国境で通貨の両替をして午後市内につき、セガンティー二美術館などに寄り、サン・モリッツの東5qのポントレジナのホテル・ロサッチ・レジデンスに入る。

1月25日 コルヴィリアスキー場。スキーのため、1913年敷設されたケーブルカー、ゴンドラに乗りついで、最高地点ピッツナイル3057mに到達。まず慣例により全員が最高地点を踏む。今回は多人数のため4グループに分れ、昼食と帰りの集合時間を決めて、それぞれ自由滑走。ピッツナイルから駐車場まで1300Mの高度差を滑って、初日を楽しんだ。

1月26日 コルヴアッツに行く。ここはコルヴィリアの南でゴンドラのゴルヴアッツ山頂駅は3303Mでサン・モリッツスキーエリアの最高地点。高度差1000Mの滑降は軽い雪質と整備されたコースにスキー技術の上達と錯覚する。ゴンドラ、リフト、Tバーを使って最終時間まで滑る。

1月27日  ディアヴオレッッア。ポントレヂナから南東へ10q谷をつめると、東西の斜面にスキー場が広がっている。西側のディアヴォレッツアにゴンドラで登る。快晴の空にピッツ・ベルニナ4049Mが朝日に輝く。果しなく山また山。午後から東のラガルブに登るが山頂はガスの中になる。

1月28日 初日と同じコルヴィリアに戻る。エンガディンの山のひだが深い。気温マイナス10度。午後から市内観光や休養する者もあった。
 夜、ホテル前の道路に雪が敷きつめられ、クロカンの競技会場があった。選手飛び、引きかえし地点から坂道を駆けあがると大きな声援があがる。凍った湖上のエンガディン・スキーマラソンのミニ版といったところか。翌朝、雪は片付いて、元の道にもどっていた。

1月29日 コルヴアッツ行き。曇で展望はない。山頂駅から駐車場まで滑り、コルヴィリアへ移動する。2500M附近から風雪強くなり、リフトが次々に停まりはじめ、老若男女慎重に下る。

1月30日 サン・モリッツの最終日でディアヴォレッツア。昨日と打って変ってベルニナの山が氷雪の嶺でならぶ。セガンティー二のアルプスの絵とダブり立ちつくす。
 午後インスブルックに向う。パッチヤーコッフェルの頂が見えると我が家に帰る思いだ。ホテル・ヨーロッパとホテル・ライザーに分れて泊まる。

1月31日 帰国する9人と別れ、高速道路を東にキッツビュールに向う。山本氏と子息同道。チロルスキー場の西の王者がサンクトアントンならぱ東はキッツビユールであろう。ここは何回か来ているが本日は上部の滑り残りの仕上げと云うわけ。
 スキーサファリは53基のゴンドラ、リフト、Tバーなどで登り滑り降りることを繰り返して進んで行く。遅れて迷子にならぬよう先頭についてゆかねぱならない。
 今回は10基ばかりのリフトを乗りついで見通しのよいコースを、時間も忘れて滑りに滑り、気がつくとバス[TOKYO7」の前であつた。

2月1日 シュトバイタールへ。山本氏とその友人夫妻、運転手ルイスさんの家族が同行。この氷河スキー場はゴンドラが増設され、一段と整備が進んでいる。我々の中にもこのスキー場のファンは多い。山稜の青氷を眺めつつ10q滑走でバスの駐車場。

2月2日 帰国する15人を見送り、鉄道でスイス・インターラーケン西駅へ6人で向う。
 第3回の時、豪雪のため行く手を阻まれたグリンデルワルト周辺に入る。クライネ・シャデック、フィルスト方面で二日間天気に恵まれ、アイガー、メンヒ、ユングフラウを眺め乍ら過した。
 
2月5日 チユーリッヒからウィーンを経由して6日関空に帰着した。


【参加】 石村揚正、岡田米司、金井健二、拍木宏信、小島一喜、阪下悦子、中谷絹子、西川顕、野村哲夫、廣田猛夫、松村文子、宗實二郎、宗實慶子   他17人