支部山行 06−11
    紀伊山地の参詣道


伊勢路(馬越峠、八鬼山越)


滝川 敏康





天狗倉山より

 伊勢神宮から熊野を目指す「伊勢路」は、江戸時代以降盛んに歩かれるようになった庶民の道だ。石畳の古道、町石の地蔵、語り継がれる伝説など、今なお往時の面影を残す「馬越峠」「八鬼山越え」を歩いた。
 
 いつものとおり早朝近鉄大和八木駅に集合し、バスに揺られて4時間、漸く馬越峠入口に立つ。アプローチの整備された遊歩道を過ぎると、早くも石畳が現れる。この石畳の道は江戸時代紀州藩の街道整備に伴い敷設されたという。今も2キロほど続いている。歩幅に沿って、無理なく少しずつ高くなるように自然石が配置されているので、紀伊路と比べるとはるかに歩きやすい。道は緩やかに登り、檜の植林のなか高度を上げて行く。哺乳瓶の供えられた夜泣地蔵を経て一里塚にいたる。傾斜がきつくなり、喘ぎながら登る。登りきって、林道を横断すると馬越峠は近い。峠には明治中ころまで栄えたという茶屋跡があり、残された石垣がかつての人の往来を偲ばせる。

 峠で昼食後、東側の天狗倉山(522m)を往復した。しばらく急坂を登り、息が上がるころ山頂に着く。山頂には小さな祠と、修験の行場とされる大きな岩がある。鉄はしごで岩の上に登ると、尾鷲市街、尾鷲湾、熊野の山なみや台高山脈をも一望できる。しばし素晴らしい景色を堪能した。

 峠からは日当たりのよい明るい自然林のなかを下る。石畳は少なくなり、登り道とはかなり様相が変わった。桜地蔵を経て、馬越公園に出る。振り返ると、天狗倉山頂の特徴ある大きな岩が転げ落ちそうだ。伊勢路はここから尾鷲の街に入る。私たちはJR尾鷲駅に出て、迎えのバスに乗った。バスは市内を南下。今宵の宿は三木里海岸近くの嬉志乃旅館だ。
 
 翌日の八鬼山越は、伊勢路を代表するコースで、古来「西国一の難所」とされてきた。実際に歩いてみると、紀伊路の諸道や九月に歩いた大雲取小雲取越などと比べ、さほどの厳しさは感じられない。上り口は当初尾鷲南郊矢浜の予定であったが、前日三木里に宿泊したので逆ルートを辿ることとなった。民宿から徒歩で舗装道路を暫く歩き、民家の脇を縫って山道に入る。ここで、「世界遺産反対」「昔の生活を返せ」など世界遺産に反対するスローガンの書かれた看板の、手荒い出迎えを受けた。来訪者にとっては不快だが、地元の生活者にとっては、世界遺産指定は不都合なことも多いことだろう。

 名柄一里塚跡などを過ぎると、「明治の道」と「江戸の道」の分岐に出る。私たちは右手の「江戸の道」に入った。暫く前までは「江戸の道」は荒れ果てて通行不能であったが、近年整備され、通行できるようになったらしい。八鬼山越の道も歩きやすい石畳が続いている。
ほどなく、「さくらの森エリア」という芝生広場に出る。古道から一転してまるで公園だ。天気がよければ志摩半島から那智山まで見渡すことが出来るようだが、あいにくの曇天で展望はきかない。広場からはすぐに三木峠、そして八鬼山頂(628m)到着。大きな岩があり、全員で記念写真を取った。
 
 今回は全行程ほぼ予定時間通りの進行で、リーダーを喜ばせた。05年歩き納めの会員も多く、とりわけ女性陣の快調な足取りが目立った。下山後、鮮魚市場で土産を買い、「きなりの湯」に一浴して帰路に着く。庶民的で歩きやすい石畳と、海や人里に近いせいか穏やかな明るさが印象的な伊勢路であった。             


【期 日】  05年12月10、11日

【コースタイム】  (10日)鷲毛11・30〜11・35―夜泣き地蔵11・49―馬越峠12・15〜12・45(昼食)―天狗倉山13・15〜13・:30―馬越峠13・45〜13・50―馬越公園展望所14・20〜14・30―尾鷲駅15・05〜15・10=三木里民宿「嬉志乃」15・45
(11日)民宿「嬉志乃」07・45―名柄登山口07・52―名柄一里塚08・10〜08・15〜「八鬼山越え看板」08・25〜明治道分岐08・40〜十五郎茶屋跡09・10〜09・20―桜展望広場10・05〜10・25―八鬼山10・32〜10・40―七曲り下11・20―林道出合11・38〜11・45―向井12・15

【参 加】 新井浩 井谷孝 浦上芳啓 柏木宏信 金井健二 川戸アイ 久保三朗 先水美智子滝川敏康 戸島泰三郎 中島 隆 松村文子 宗實慶子 宗實二郎 森沢義信 芳村嘉一郎 上田京子 内田嘉弘 内田昌子 (他会員外 7名)