支部山行 06−01 「紀伊山地の参詣道」


小 辺 路  U

瀧川 敏康


果無峠にて

 3月の高野山から三田谷に続き、小辺路の後半部分、三浦峠・果無峠越えを二日間で歩いた。
 低気圧が接近し、天気は下り坂。バスで起点に向かうときから何やらどんよりとした曇り空である。それでもバスは順調に走り、十時半ころには三浦集落に着く。身支度をしていると、たまたま通りかかった老人が、目指す三浦峠を指差して教えてくれた。高度差は700mくらいありそうだ。
  
 道標に従い、民家の脇を抜けてやや下ると鉄製の吊橋が現れた。この橋を渡り、三浦峠を目指す。全員軽やかな足取りだ。
 暫くは廃屋が点在する里道だが、それを抜けると山道に入る。
植林された林の中は暗いが、踏跡はしっかりしており、道幅も広い。傾斜は一定に保たれており、急坂は電光型に道が作られている。よく整備されているという印象だ。ゆっくりしたペースだが、休むことなく淡淡と三浦峠を目指した。
 12時半を回ったころ、開けた場所で昼食とした。伯母子岳など前回歩いた山々を眺められる筈なのに、視界はきかない。
今日は展望が期待できないようだ。贅沢を言わずに、雨が降らないことに感謝しよう。
 三浦峠には立派なあずまやが建っており、その脇をバスでも通りそうな幅広い林道が横切っている。ここまで登り一辺倒で来ただけに、風情のない峠の風景は残念だ
 峠からは西中まで下りである。
登りと比べると明るい自然林の道だ。無理のない歩きやすい道が続く。下りの傾斜がきつくなり、やや歩くのに飽いてきたころ車道に出た。
 迎えのバスを探して十津川温泉に向かう。西中から柳本までは車道を歩くことになるので省略した。民宿「松乃家」 に泊まる。宿に着くと同時に、本格的な雨が降ってきた。湯量豊富な温泉と、山菜料理のもてなしを受け、全員満足。
翌朝は予報に反して雨がなかなか止まない。出発時間を若干遅らせて、果無集落までバスで移動した。いよいよ果無峠越えだ。はやる気持ちを抑えて、果無峠登山口で記念写真を撮った。
 道は暗いが、色とりどりの傘で花が咲いたようだ。足取りは今日も軽い。石畳の滑りやすい道を、注意しながら進む。昨年下っているので懐かしい道だ。
この道には、果無峠を挟んで西国三十三観音の石像が置かれている。ひたすら登りだが、この石像を数えるとで気持ちが和む。大正十一年に建立されたという。
果無峠には十七番観音石像が置かれている。峠に着くころには雨がすっかり上がって、空が明るくなって来た。
思い思いに暫く休憩した。木々が鬱蒼と茂っており眺望はないが、果無山脈縦走路との分岐があり、また宝筐印塔が置かれているなど、この峠には峠の趣がある。
 全員で記念写真を撮り、峠に別れを告げた。ここから八木尾まで、またひたすら下りである。
 八木尾から熊野本宮までは車道歩きのため省略し、小辺路の完了とした。帰路、昂の湯に一浴してバスで近鉄大和八木駅を目指した。
小辺路(こへち)という名称は近世、17世紀ころの文献から現れるという。大阪方面から熊野に参詣する最短ルートとして開かれたようだが、地域住民の生活道を利用した庶民の道でもある。
 明治22年の大水害により、大きな被害を受けた当時の十津川村の、2割ほどの住民が北海道に入植した話は有名だが、その一行は小辺路を経て、神戸港よは小辺路を経て、神戸港より船で渡ったと伝えられる。
 近世から近代まで、どのような人々がどのような思いを抱いて、この道を歩いたことだろう。
 二日間、他のパーティに会うこともなく、静かな山を楽しめたが、いろいろと想像を廻らせた古道歩きであった。

<写真: 浦上芳啓、中島 隆、芳村嘉一郎>
【期日】 06年4月22、23日
【コースタイム】
(22日) 三浦口11・00−二五丁石12・10−三十丁水場12・15−三浦峠(昼食) 13・05〜13・30−古矢倉跡13・50−一石五輪塔14・30−観音堂15・00〜15・10−西中15・45
(23日) 果無08・50--山口茶屋跡09・25−観音堂10・00〜10・15−果無峠11・00〜11・20−七色分岐12・55−八木尾バス停13・45
【参加者】 内田嘉弘、内田昌子、浦上芳啓、金井健二、小寺佳美、先水美智子、滝川敏康、田中祥介
 田中義一、中谷絹子、中島 隆、松村文子、宗實二郎、森澤義信、芳村嘉一郎、 会員外5名 計20名