雲取越え

支部山行 05−08
「紀伊山地の参詣道を辿る」シリーズ


大雲取小雲取越

芳村嘉一郎

                           円座石

【期  日】  05年9月23日〜24日
【参加者】  新本政子、浦上芳啓、久保三朗、滝川敏康、戸島泰三郎、中島隆、中谷絹子、松村文子、宗實慶子、宗實二郎、森沢義信、芳村嘉一郎、(会員外)2名
【コースタイム】
(23日)議川橋バス停11・30−松畑茶屋跡12・30〜13・081百聞グラ13・27〜13・35−石堂茶屋跡14・10〜14・25−桜峠14・50−桜茶屋跡15・05〜15・15−小和瀬渡し跡16・10〜16=25−小口自然の家16・30
(24日) 小口自然の家07・00−円座石07・30〜07・35−中根旅籠跡休憩所07・57〜08・05−楠の久保旅籠跡08・15−胴切坂看板09・05−越前峠09・50〜10・00−地蔵茶屋跡10・35〜11・00−(途中昼食35分)−色川辻12・35−舟見茶屋跡12・50〜13・00−登立茶屋跡13・40−那智高原14・15−青岸渡寺14・30


  かって熊野詣の旅人は、はるばる辿り着いた本宮から舟で熊野川を下り、新宮(速玉大社)から陸路、那智大社に向かった。更に 「大雲取小雲取」 の厳しい山坂を越えて再び本宮へ戻り、熊野三山巡拝を終えたという。神の国・熊野はまた黄泉の国でもあり、難行苦行を経て新しい人間に「よみがえる」再生の旅が熊野詣であったといえよう。その意味では那智から北へ向かうのが順序だが、私たちはこれまで歩んできた大峰奥駈道、また中辺路の延長として、更に日程上の都合もあって、南下するルートを選んだ。

 9月23日。大和八木からマイクロバスで4時間あまりの請川をスタート。真夏のような暑い日だったが、山道に入るとスギやヒノキの大木が日を遮り、少し涼しくなった。地面すれすれにクリーム色のチャボホトトギスの花が咲いている。一時間後、松畑茶屋跡で昼食。この先にも所々に往事賑わった名残の茶屋跡があるが、ここにも立派な石垣が残っていた。急な尾根道を登って百間グラに立ち、巌頭から果無山脈や大塔山系の雄大な眺めを楽しむ。

 緩やかなアップダウン、苔むした石の階段道などで賽の河原、石堂茶屋跡を過ぎ、小雪取の最高所・桜峠へ登る。峠を下ると桜茶屋跡で、説明板に 「休め休め日は暮れ次第桜茶屋」 の句が記されていた。ここからは石畳や石段の下り一方で赤木川の「小和瀬の渡し」に降り立つ。
こには昭和29年に吊橋が出来るまで、渡し舟が残っていたという。ここから十分足らずの小口自然の家で山靴の紐を解き、ぐっすり眠る。

 9月24日。大雲取の標識が立つ登山口から石段の登りで杉木立の山道に入っていく。一面に朝霧が立ちこめて正に雲の中に踏み入っていく感じの中、円座石 (わろうだいし) に来る。石の上にある紋様を丸い座布団(わろうだ) に見立てたもので、熊野の神々がそこにすわって茶を飲み、相談ごとをしたと伝えられている。深い杉林の中、緑に苔むした大石にそれぞれの大社を顕す三つの梵字が刻まれ、今にも神々の声が聞こえてくるような神秘的な雰囲気が漂う。

 石畳の急坂を登り、中根の旅籠跡、ついで十数軒もの旅籠があったという楠の久保旅籠跡を過ぎる。胴切坂という不気味な看板がある辺りからは、雲取越えの中でも名だたる難所、越前峠越えになる。急な石畳や階段が連続する道を、小口からの標高差800m余を登り詰めた峠は鬱蒼とした杉林の中にある。一息ついて、苔むした滑りやすい石段道を下り、再び石畳の急登で石倉峠に着く。ここに立つ斎藤藤茂吉の歌碑が、そのまま私の有り様であった。
 「紀伊の国の大雲取の 峰ごえに一足ごとに わが汗はおつ」。

 何度かの緩い登降の後、昼食場所を見つけて腰を下ろす。食後は色川辻に出て、再び登りになり舟見峠に着く。やや靄がかかっていたが那智湾の海岸線に寄せる白波が望め、その右に那智高原、妙法山が招いていた。快い風が吹き抜けて、実に爽快な気分だった。

 峠からは左手に烏帽子山を見ながらぐんぐん下り、那智高原の公園を突っ切り、長い長い石段道にかかる。14時半、青岸渡寺に到着。境内は大勢の参詣客や観光客で賑わっていた。森沢さんや宗實さん夫妻と奥駈道を歩いたご縁がある副住職のお話を聞き、一緒に記念撮影に収まって頂いた。朱色の三重塔を前景にした那智の滝はお馴染みの風景だが、今日は格別に美しく荘厳に思えた。そのあと那智大社に参拝。青岸渡寺で般若心経を唱えて古道踏破の報告をして、清々しい気持ちでお山を後にした。