7月の北海道
  
手塩岳、オプタケシケ山、神威岳・北海道支部追悼登山


                          阪下幸一       

8日(火) 大阪空港より千歳空港に昼過ぎに着き、レンタカー2台で高速を旭川北で下車、愛別町より岩尾内ダムへの道に入り峠を越えたポンテシオより天塩峠に沿って走り、ダムより林道、終点の天塩岳ヒュッテに着く、17:00。ヒュッテは改装中で隣の営林署の小屋に泊まる。

9日(水) 5:00出発。旧道を歩き、前天塩岳に急登、項上はガレ場で紅白のコマクサが多く咲いていた。1540m、展望はよく、大雪、暑寒別岳の山々が残雪を抱き見られる。天塩岳にはガマ沢の源流を見ながらハイマツの稜線をコルに下り再び頂上を目指す、清滑川からのコースが合流するとすぐお花畑の中に一等三角点があった。1557.6m

帰りは新道コースを下る、途中、円山のピークとの間に立派なトイレ付きの避難小屋があった。尾根伝いに歩き、旧道との連絡道を降り、天塩岳ヒユッテに戻る。14:00車で愛別町、旭川、美瑛町を経て白金温泉へ。町営の白樺荘に宿泊、17:15地元の岳友の桑田夫妻の出迎えを受ける。

10日(木) 5:00出発、美瑛川に沿った道を2キロばかり行き、美瑛富士登山口の標識のある林道のゲートのカギを外し林道に入り、登山口の近くの駐車場に車を置く。

山頂は霧に包まれている、15時頃から雨との予報、赤エゾマツの林から美瑛富士の山腹をトラバース、「天然庭園」の看板がありハイマツ、イソツツジ、を主に岩を配した潅木状の中を行くが歩きにくい。風も強くなり、樹林限界を過ぎると残雪が現れ傾斜もきつくなる。やがて草原の中、美瑛富士避難小屋に入る、8:40。天候の回復も遅れる予報、10:00小屋を出る、小雨まじりの強風の中を下山、桑田夫妻とも別れ、白樺荘に入る。

11日(金) 昨夜、道東に大雨警報が出ていた。今日は観光に切り替え、美瑛町の民宿へ。

12日(土) 一日早く帰る3名と別れ、最後の目的の神威岳へ向かう、平取町−静内−三石町の荻伏より元浦川に沿って林道に入り、終点の神威山荘着、14:00支部の世話役の人達がすでに前日より入山、準備されていた。神威岳で遣難された元北海道支部長の大塚武氏の二十回忌の追悼登山でやがてバスで支部長を始め多くの人達が見え、山荘の前で追悼式、黙祷の後、新妻支部長の挨拶、高沢副支部長の講話「大塚武さんとゆう人」64歳で銀行頭取の身ながら神威岳登山望み抑えがたく単独行、そして遭難。遺族の長男、大塚謙一氏の謝辞、中村企画委員長の(追悼登山の計画)献杯の後、懇親会が遅くまで続く。(参加34名)

13日(日) 4時起床、5時に出発、全員、沢登りスタイル。谷を渡り古い造林道を二股、左岸の尾根を越え本流の右岸、函状の谷を行き標高524mの二股に大塚氏のレリーフがあり、全員集まって黙祷、傾斜を増し士砂が堆積した谷を登ると714mの二股から右の階段状の谷に入り少し登ると右岸に尾根の取り付き点の赤いテープがあった。8:30

 登山靴に替え752mの入り口からは日高特有の直登、平均30度は有る。笹、岳樺にすがり高度を稼ぎ、1150mと1250m辺で傾斜が一旦緩むが国境稜線1450mまでは再び急登、中岳への主稜は注意しなければ判らない位細く険しい、よく縦走する人がいるものだと思う。ハイマツの尾根となり高山の雰囲気となり1500m位からは緩やかな尾根となり、日も差してきたが霧の為、展望はなくやがて潅木の間のお花畑を過ぎると頂上に出る。10:30二等三角点、標高1601m、時々前方にソエマツ岳、ピリカヌプリらしき峰が霧の間に見える。畳半分位の大きな彫刻の銘板があり遺族の大塚謙一氏を中心に記念写真、日高の名峰に登れた感慨にしぱしひたる。11:00

下りは滑らぬように笹や木を持ち慎重に下る、尾根取り付き点で沢シューズに履き替え沢を下る。途中より小雨模様となり谷も少し増水気味、緊張した。神威山荘者15:30。留守隊の拍手に迎えられた。終了式があり関西からの4名が無事登頂出来た事を感謝し最後に全員で山の歌を合唱、解散。長い林道を海岸の国道に出て町立の三石温泉に宿泊。

14日 早朝出発、千歳空港に出て11:00の便で大阪へ帰る。

【参加】阪下幸一、阪下悦子、中谷絹子 他