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この登山隊の由来は関西支部報(02年12月発行)に阪下氏、記載文を参照して頂く事にして、今回の参加者は15名(会員は5名)その内リピーターが10名、平均年令68歳からも隊の魅力が推察されます。目指す山は中高年向きの中国未踏峰。サーズ問題と重なり決定したのは八月中句でした。
9月3日 夕刻ラサのホテルに着く。3650mの高地では4階へ上がるのに息切れする。
4〜5日 高度順化も兼ねてポタラ宮ほか見物。初めてのチベット、観る物、聞くもの、食べ物に興味津々。
6日〔BC入り〕
9時トラックー台、四駆車4台でホテル出発。市街部を抜けると田園風景。国道と平行して建設中の青蔵鉄路を見ながら宇中の集落に入る。国道から一歩入れば草原でヤク等の放牧場。曲嗄谷へ走行可能な地形を選びながら進む。車のトラブル等もあり標高4500mの丘陵地に17時着く。テント十張りBCとした。
7〜8日
〔偵察と高度順化〕
偵察は氷河舌端部を越え5370mまで登りチュガ・チュシャン峰(後日TMA命名)ほか周辺の山の確認とCI地の選定を行った。
天候は短時間だが連日の雨、高所は雪。雷雨、雹もあり不安定。
9日〔CI建設〕
ヤク11頭に荷を負わせCI地に向かう。我々の予定地には程遠く4950mで、ヤク御者が道の悪さと草(餌)の無い事を理由に荷揚げ中止。止む無くモレーン下の平坦地に変更。この位置から登項にはC2が必要。
10〜11日〔荷揚とルート選定〕
12人3日分の食、住の荷揚は高齢メンバーには厳しい。C2は5350mに4張りテントを設置した。午後からルート選定に取り付いたペアーはクレバスとモナカ雪(表面を踏み抜けば深く潜る)に苦しみながら5540mに達した。夜半から冷え込み雪。明日はアタックだ。
12日〔登頂日〕
晴れ気温マイナス15℃ 8時40分出発。昨日苦しんだ雪も締まり歩き易い。岩壁基部に沿って5600m辺りまで登る。ピッケルアイゼンは使用せぬままドーム状の稜を登るとダダッ広い頂上だった。12時到達。トッブとラストの時間差は1時間で11名が頂上に立った。高度計(トーメン)は5760mを指していた。頂上から見る周辺の山々は、6000mクラスだが何れも高く急峻で新たな欲望が洩いてくる。中でも純白でピラミッド形の孔那日字峰に惹かれる。下山の頃は気温上昇で雪面は緩み腿近くまで潜り難渋。スノーシユーズの一人はスイスイ下る。最終帰幕者は18時。
13日〔C2撤収C1へ〕
本来は他のピークを狙いたかったが荷揚げ量の不足で下りねばならない。一部のメンバーはチュガ・チュシャン峰、東のコル見えるケルンらしき物の確認と魅力ある孔那日字峰の偵察に登る。積雪は殆ど無い大岩の混ざったガラ場を詰め5510mコルに到者。そこには基部直径80p、高さ2mのケルンがあった。誰が何の目的で築いたか興味ある案件。コル着11時40分。C2撤収しC1着15時。主要地点間の距離はBC〜C114.2q、C1〜C23.1m、C2〜頂上3.0m。
14〜15日〔C1撒取BCへ〕ヤクに荷を積みBCへ下る。荷物整理と祝宴。
16日 物珍しく集まった地元民に見送られ5台の車でラサに戻った。
17日 TMAの招待でチベット料理を御馳走になる。中国側は体育局長、チョー・オユー合周登山の隊長等で有用な一時。この席で登頂証明書を頂いた。
18〜19 日 ラサ〜成都〜福岡空港。ここで隊は解散した。
【参加】阪下幸一 清瀬祐司
補足説明
@チュガ・チュシャン峰の標高6008mだが本文では他の標高に絡むので、あえて高度計表示を記載した。
A主要地点問の距離はGPSによるピンポイント。
<HP作成に当たって>
支部報に記載された山名は「曲嗄金山」ですが、HP作成中の段階で「嗄」について筆者の清瀬会員から訂正申し入れがありました。しかし、該当の字は「外字」になりますのでここではカナ表示にさせて頂きます。なお、登頂証明書に記載された山名は
「ChugaJinShan」ということです。
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