バルトロ氷河トレッキング
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廣田猛夫
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![]() パキスタンでの移動ルート ヒマラヤアルパインスタイルより |
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計画から出発まで カラコルムの山々に魅かれながら政情不安と異文化のパキスタン入国に二の足を踏む状態が続く中、昨年秋のパキ事情に精通した友とのパキ旅行では欲求不満が残った。次回行くならば通俗的だがK2を筆頭とする高峰、その前衛の針峰郡を至近距離から眺められるバルトロ氷河の山旅と決め、帰国後山仲間に打診したところ、既に同じ考えでの登山隊成立の感触を得た。 難関部ゴンドコロ峠を乗越える接術、体力の欠如が見られればコンコルディアで隊を二分できる考えから、隊員の年齢、氷雪接術は度外視した。エージェントは、設立を目指す現地民族会社に意義を感じ直接契約。メンバーは最終的に9名 (うち会員5名) 平均年齢67歳のシニア隊となった。 月例ミーティング、訓練山行等に支部長他のご指導を取り入れ研鑽に励み6月27日の関西空港から出発となった。 バンコック経由、約16時間をかけイスラマバード空港に到着、空港では今回のトレッキングで一番お世話になるガイドのイサさんを初めとしたK2インターナショナルのスタッフの面々が待ち構え、我々全員の首にレイをかけ熱烈な歓迎を受ける。 直ちに小型バスに乗りレィジェンシーホテルに入る。 イスラマバードの気温は、この10日間50℃を超える猛暑が、ここ数日40℃に下がったとはいえ、骨身に堪える猛暑だ。又日本を出発する時に問題となったカラチの暴動騒ぎも心配するほどのものではなさそうだ。 翌28日は救援ヘリコプターの預託金の支払いとパキスタン山岳会へブリーフィングを受けるために出掛けたが、ここで 「ゴンドコロ峠直下に約10mのクレバスが出来現在通行不能」との情報を入手、トレッキング開始を前に計画遂行そのものが危ぶまれる状況となったが、取敢えずコンコルディアまで入ってから最終判断を下すことになった。 (6日29日) トレッキングのスタート地点アスコーレヘ向け陸路で出発。イスラマバード〜スカルド間は小型バスで途中チラスに泊まり、二日をかけインダス川沿いの絶壁に作られた名だたる悪路のカラコルムハイウェーをただひたすら走る。 スカルドで一日の休養の後、ジープに乗換えアスコーレヘ向かったが、更に酷い悪路の連続で、イスラマバードから灼熱地獄と砂塵まみれで三日間もこれらの悪路を走り続け、アスコーレに着いた時 (7月2日) にはトレッキング開始を前にして全員が些かグッタリ。アスコーレは人の住む最後の村、バルトロ氷河トレッキングの出発点でもあり、各国のトレッカーや遠征隊がそれぞれ出発準備のため騒然とした雰囲気。 テント場では、我々隊員9名に対し、このトレッキングをサポートしてくれるK2インターナショナルのスタッフ8名とポーター72名が、やはり明日からのトレッキングの出発準備とテントの設営に忙しく立ち働いている。 夕食を終え、シユラフに潜り込むと今日からいよいよトレッキング期間中の長いテント生活が始まるのだとの思いを新たにする。 (7月3日) アスコーレからバルトロ氷河の核心部コンコルディアを目指し休養日を含め8日間のトレッキングを開始。 シガール川のつり橋を渡り広大な扇状地に出ると、このトレッキングで最初の氷河ビアッフォー氷河が姿をあらわす。 この日はトレッキング初日という事もあり、5時間強の行程のコラホンでキャンプ。 アスコーレ辺りから頭痛や生水の影響か下痢症状を訴える隊員が出始める。 トレッキング二日目 (7目4日) はパルディマルまで6時間少々の行程であったが、ジュラを通過する頃から、気温が上昇し、バルトロ特有の灼熱地獄が始まりビアッフォー川とデュモルド川の合流点の辺りから木陰もない河原歩きが続き、地面からの猛烈な照返しで殆どの隊員が熱中症の症状となる。 パルディマルまで予定外の10時間以上も要したこの日のトレッキングは今回のトレッキングで一番苦しいものとなった。 この日の夕食にキッチンスタッフが丹誠込めて作ってくれた豪勢な料理は見向きもされず、全員の体調を気遣って作ってくれた中国米のお粥が大好評。 翌日 (7月5日) パイユヘ向け出発。途中でX字谷の奥にブロードピークが姿を現し、コンコルディア以外で唯一K2が望める場所で大休止の後、昼前にはパイユに到着。 ここは、トイレ、洗面所、シャワー設備が完備した緑豊かな快適なキャンプサイト。 ここで翌日も休養日とし、高度による頭痛、下痢、熱中症等、連日の強行軍による隊員の疲れを癒すことにした。 この休養日に山羊が解体されシシカパブを初めとした新鮮な山羊肉料理の数々が隊員を食欲旺盛にさせ元気付けた。 (7月7日) パイユで充分体力を回復させた後、再びコンコルディアを目指してトレッキングを開始。 パイユを発ち間もなくバルトロ氷河の舌端部に到達し、一時間ほどでバルトロ氷河の上に出ると氷河の広大さに驚かされると共に、アップダウンが激しく迷路の様なモレーンの山の連続には些かゲンナリさせられた。 だが氷河を遡行するにつれトラゴンタワー、カテドラルの岩峰群がその姿を変えるさまを見ていると退屈することはない。 リリゴ氷河の舌端都を回り込むゴブルツェのキャンプに到着。 翌朝 (7月8日) 夜来の雨が雪に変わり、上部が薄っすら冠雪したトラゴンタワーやカテドラルを眺めながらバルトロ氷河最後の緑地、ウルドカスヘと出発。 道中はムスタグ・タワー、ロブサン・スパイヤー、ガッシャブルム山群のG4(写真上)、G2、その他無数の針峰群が一歩ごとに姿を変える。 四方が筆舌に尽くし難い景観の中を進むうちにウルドカスに到着。 ウルドカスで標高がはじめて4000mを越えたが高度の影響で持に体調を崩す者もなく,高度馴化を兼ね裏山に登り、全員食欲も旺盛。 マッシャーブルム(7月9日) ウルドカスから、モレーンのアップダウンが幾分緩やかになったルートをゴレ2へと出発する。 出発してまもなく、右手(南)に朝日に照らされたマッシャブルムが姿を現し、歩を進めるごとにマッシャブルムの北面がすごい迫力で迫ってくる。 ゴレ2のキャンプサイトに到着。 夕食後のミーティングで食料などが減り一部ポーターを解雇した。そのチップの支払い問題で喧々諤々、テント生活9日日ともなると苛立ちが目立つ。 4000mを越えた事もありトレッキングに影響がない程度の頭痛、顔のむくみ、手足の痺れを訴える隊員が増え各自に配られたダイアモックスで対応。 ムスタグタワー(7月10日) バルトロ氷河の核心部コンコルディアに向かってゴレ2を出発し、一時間ほどでムスタグタワーがその特異な姿を現し始めた。 ![]() (コンコルディアは間近になった) 標高4500mを越えた辺りから雪に覆われたバルトロカンリが姿を現わし、四方が名峰に囲まれたトレッキングとなり、我々のキャンプサイトが見え始める辺りからK2がその威容を現し、まもなくコンコルディアに到着。 K2コンコルディアではポーター全員が我々の到着を祝し、鍋釜を叩き手拍子を取り歌い踊って歓迎してくれた。 日本を発ってから丁度15目目、アスコーレから連日灼熱地獄のバルトロ氷河を下痢と頭痛や高度の影響に悩まされながら、夢にまで見たコンコルディアまでよくぞ歩き通したとの思いで全員が感激に咽んでいた。 (7月11日) 当初予定では、コンコルディアでの初日は休養日であったが、ゴンドコロ峠の通過不能がほぼ確実となり急遽予定を変更し、11日はゴドウィン・オースチン氷河を遡行しブロードピークBCかそれ以上の地点を目指し日帰りで往復することに変更、高度の影響で体調不良の2名をコンコルディアに残し、ブロードピークBCを目指す。 K2が近づくにつれ、背後にたおやかな雪稜のチョゴリザがその姿を現してくる。 標高4800mの地点まで登り、コンコルディアヘ引返す。 上部バルトロ氷河のテーブルストーン(7月12日) コンコルディア滞在3日目になるがゴンドコロ峠を越えた隊は皆無で、峠越えは絶望的な状況の中、最後の可能性を探る為、アリキャンプヘ隊員3名とガイドで向かった。 途中峠越えで下りてきた3名のレスキュー隊員と出会った。彼らの説明ではヴァイン氷河に出来た大きなクレバスは優れた氷雪技術の登山隊以外の通過不可能、荷物を背負ったポーターの通過は困難、今シーズンのルートの修復も不可能というものであった。この結果峠越えの計画は断念することとなった。 この為コンコルディアから往路を引き返し、アスコーレまで戻り、当初ゴンドコロ峠を越えで下山する予定であったフーシエ谷を、陸路でスカルド経由で訪ねる事に計画を変更する事になった。 (7月13日) バルトロの名峰がすっかり小雨とガスで包まれる中コンコルディアを後に、往路を引き返しアスコーレヘ向けトレッキングを開始。 ゴレ1(7日13日)、ゴブルツエ(7月14日)、パイユ(7月15日)ジユラ(7月16日)、のキャンプサイトを経て、(7月17日)最後のキャンプサイトのアスコーレヘ無事帰還。 ここでもコンコルディア到着と同様にポーター全員が拍手で我々を出迎えてくれた。 アスコーレを出発する時には72名もいたポーターは、アスコーレに戻ってきた時は33名に減っていた。 このトレッキングを陰で支えてくれた彼らの労をねぎらいポーター一人一人に清瀬PLから500ルピーのボーナスが支払われた。翌日、陸路スカルド、マチュルをへて花が咲き乱れるフーシエの谷を訪ね今回のバルトロ氷河トレッキングを終える事となった。 今回のトレッキング最大の目標のゴンドコロ峠越えは、止むを得ぬ理由で断念せぎるを得なかったが、バルトロ氷河の往路のトレッキング中とコンコルディア滞在中の10日間が連日好天気に一思まれ、夢のようなバルトロ氷河の景観を目の当たりに出来た幸せと、大きな事故もなく全貝無事に帰国できた幸運、我々ロートルパーティーが二度と再び訪れることの出来ない地であることを思えば、今回のトレッキングをもって善しとすべきであろう。 【参加】 清瀬祐司(PL) 宗賓二郎 久保和恵 廣田猛夫 長田健三 (山陰支部) 会員外4名 コンコルディアにて |