6月中旬の「京岐北陸ブロック記念式典」に続いて、7月中旬に開催された「九州ブロック記念式典」に参加しました。いずれも日本山岳会の歴史と伝統を感じさせる演出がなされており、百周年に取り組む意気込みが感じられました。多くの参加者を迎えるための事前の準備や、開催日が近づくにつれての情勢の変化への対応は大変だったであろうと感じました。
5月中旬に開催された支部長会議の中でも話題は「中央分水嶺踏査」に関するものでした。同じように記念式典の席上でも踏査の進捗状況が報告されていました。会報『山』やホームページにも進捗状況のデータが掲載されています。分水嶺踏査の発案者としてはうれしい限りですが、支部によっては大きな負担を強いており、また踏査そのものに反対意見もあり温度差のあることも事実です。
「中央分水嶺踏査」は百周年記念事業担当の平林副会長から意見を求められた時に提案したものの一つです。2001年から二年間にわたって全国の中央分水嶺上の山々を登りました。同じ頃、堀公俊さんの「日本の分水嶺」が発刊されたこと、当会会員の近藤善則さんから労作の「分水嶺地図」の提供を受けたことなどから、中央分水嶺縦走ということが頭に浮かびました。しかし、時間の確保や体力の衰えを考えると個人での実施は困難で夢物語と思っていましたが、それが日本山岳会という全国に会員を擁する大きな組織によってこそ可能になると考えたのです。
まず念頭にあったのは、全国25支部が同時進行で行なうことのできる記念行事にしたいという事でした。次にこの10年間日本各地の山を登りながら目の当たりにした自然環境の疲弊の現実から、昨今のブームとは違うローインパクトな登山方法の模索でした。さらに「藪漕ぎ」や「バリエーションルート」という近年は死語になりつつある登山への原点回帰でした。高度成長が進むなかで、女性の就労が一般化し、昨今の「中高年登山者」の中核を担っているのは周知の事実です。そしてその多くはツアーなどに参加する集団登山になっています。そこでは地図を見ることもなく、「登った山の名前と数」しか記憶に残らない現実があります。また、現在我々の使用している登山装備は極めて早いスピードで進化する科学技術の粋を集めて、高機能化や軽量化が図られています。以前のように体系的な訓練をおこなって技術や体力を養成していない登山者にとって、それらの恩恵は計り知れないものがあります。
「中央分水嶺踏査」は、山岳会の創設された100年前と同じように地図とコンパスと五感を駆使して、藪をかき分け、重い荷物に汗して目的の頂を目指す山登りを再現する試みです。そこには整備された登山道にはない苦労もありますが、苦労が大きければ大きいほど、目的を達成した充実感と喜びは大きい事を再確認して欲しいと思いました。
日本山岳会の原点は旺盛なパイオニア精神にあります。全国の会員の力を結集しての試みは、連帯感を強化し、自分達の集う山々の再認識と、現状把握ができる記念行事になると確信しました。紆余曲折はありましたが、その後科学委員会が主管して計画の立案がおこなわれ、中央分水嶺踏査委員会によって進捗管理がおこなわれています。
今年、創立七十周年を迎える関西支部の式典は11月5・6日ですが、ここでも登山の原点にスポットを当てます。吉野山金峯山寺宗務総長の田中利典さんには、日本の登山の始まりを高い山に分け入り修行した山岳宗教に見立てた「役行者と修験道」、そして高野山大学教授の奥山直司さんには、日本人で最初にヒマラヤを越えた「河口慧海の道を追う」の講演をお願いしています。百周年記念事業の一つとして全国で開催される最後の記念式典を成功させるためにも、一人でも多くの支部員の参加と支援は不可欠です。支部創立七十周年という節目の年、霊峰高野山で支部の力を結集しようではありませんか。 |