上中さんがジャナリズ峰(福井支部主催のJAC100周年海外登山) から帰られた頃と思い電話を入れた。奥様から訃報を聞き愕然とした。
概要は9月9日、Cl、5347mに到達、テント泊まり。10日、休養を決めていた隊長と上中氏(この二人は昨年もチベットでの登山で同じテント生活を組んだコンビ)は上部を目指す仲間を見送った後、異変が生じた。上部に向っていた隊の医師が駆け付けた昼過ぎは既に事故ではなく病気で事切れていたそうです。訃報を受けたご家族は14日、現地 (ラサ) に着き遺体と対面、関係者から詳しく状況報告を受けられた。奥様は「穏やかな顔をしていた。仏教の地チベットの山での死去は満足していると思います」と述べられたそうです。15日、茶毘。18日、お骨となって広島の自宅に帰って来た。
一方登山隊は訃報を知ったが弔いをかけ山頂を目指し11日、隊長以下5名が未踏の頂き6214mに立つ事が出来た。
葬儀は9月24日、広島市内で執り行われた。
参列者は広島岳連会長、JAC広島支部長(種村氏)以下、県庁山の会ほか多くの山仲間、登山教室の受講生、正に上中氏の人望に集まった人々で埋まったそうです。
さて、追悼文を依頼された私と上中氏の関わりは、支部新年会のテーブルで隣り合わせが切っ掛けでした。彼は広島岳連、理事長を辞し県庁退職後でようやく自分の登山が出来る環境になった頃でした。粗野な私にも丁寧な言葉、態度で接しられ良い気分になり喋っていたようです。付き合った年数は短いが馬が合う間柄だったと思う。丁度100周年に合わせ企画が有った。一つは中央分水嶺踏査、これは関西、山陰支部の分岐点、人形峠は関西中心部からは遠く、広島、鳥取在住者の出番と金井良碩さんに調整して頂き伯州山〜人形峠を04年12月中旬に計画実施した。黒部で凄いブッシュ漕ぎをした阿部前支部長にして、こんな竹ばかりのブッシュと格闘は初めてだ、と言わしめた。この根曲がり竹、密生帯の大半を上中氏がトップで切り開き進んでくれた。帰途、我が家で入浴時見た脚、腕は赤くなり腫れあがっていた。チベットから帰れば三国山〜伯州山を繋ごうと言っていたのに。二つ目は海外登山。彼は02年、福岡支部カンリガルポ山群調査隊に参加した。その体験を熱っぽく語られ未知の魅力に私の心は傾いた。一方では両人共、平易でも未踏のピークに立ちたい思いは強かった。私は03年、中高年未踏峰登山隊に加わりチベットの山へ。その時、遠望した純白で三角錐の山 (ジャナリズ6214m) に魅せられ、仲間と偵察行をした。翌年、上中氏が隣接した山へ福井支部長、宮本氏等と参加した。前方に聾えるビラミダルな山容に感激した、と表現している。そして05年の山行となった (私は親族の病状悪化で不参加) 過去の高所活躍実績から見ても「まさか」 の出来事。あの頑健な体力から想像も出来なかった。
上中さんのキーワードは山とボランティアだったと思う。
中でも安芸高田市桂に姉さん共に運営管理の約1万平方米の上中農園が有る。各地の養護施設の子供達を芋掘り、イチゴ狩り等に招待している。圧巻は南米原産 「エンゼルズトランペットの森」と名付け白、黄、オレンジの20種類2000本が来園者を楽しませている。ライトアップされた光景は素晴らしい。
この農園を訪問された人々は貴方の事を偲び語られるでしょう。
安らかにお休みください。 合掌
|