1942(S17)私と故梶本夫人(旧姓藤本久子氏。学校で同級で共に学校山岳部だった)はエーデルワイス最後の入会者で、1944(S19)会が消滅するまで参加していました。
昭和一桁、高等女学校では生徒は保護者付き添いでなければ通学以外の外出は許されなかった。卒業したら山に行きたい。
1936(Sll)大阪女専に入学、早速夏休みは学校から北アルプスに行った。
ガイドは細野(八方)の故大谷定雄、切久保(岩岳)の福島忠雄。
大町=大出から歩き出し→針の木小屋泊→五色小屋→立山→剣沢小屋(源次郎爺さんが)→剣岳→雷鳥沢→立山温泉→千垣駅
毎日雨に降られたが、私はすっかり山に魅せられた。
在学4年間、毎夏の北アルプス行き。1941(S16)夏にはOG4人で後立山縦走をした。その時エーデルワイス会員である大先輩の安岡妙子氏からエーデルワイス入会を勧誘された。
エーデルワイスの高名は知っていた。が私には高嶺の花だった。学校山岳部先輩では化学の故松本静子教授、斉藤輝氏、故前田(旧野田)千栄氏が既に会員だった。
梶本夫人と私は1942(S17)入会した。六甲や鎌倉峡等、日帰り例会に度々ついていった。井上トクさんリーダーで信州の徳沢にも連れて行ってもらった。
男性みたいな故小林(長谷川静子)会長。女性的な故上田安子副会長。日舞名取の矢野さんは戦後、新町で左褄を取って、山男達が通ったと云う。(夫清彦の話)山男住江氏(旧佐伯)夫人。大倉糸子氏。今老人ホームで寝たきりの池田(旧森田)元子氏等。
山行きには新村正一氏(ショウちゃん)井上篤次郎氏(トクさん)梶本徳次郎氏(カジさん)等男性が来てリードして下さった。
戦前男性との山行きは親が許すはずがない。皆嘘をついては山を楽しんだ。5年前鎌倉の長谷川静子さんと箕面の池田さんが来宅の際、ハセヤンの言葉「子供に嘘を付かれても、怒る気にならへん。うち等何時も嘘ついて山へ行ってたもん」まったく!
1938(S19)3月、スキーにシールを付けて八方尾根を登り、後立山稜線はスキーを担ぎ遠見尾根を滑り降りた時、大遠見で雪洞を見た。先日までショーちゃんとハセヤンが使ったという。
戦いが激しくなったS19、男性は皆戦場へ。女性も山の格好をして歩けなくなり、遂にエーデルワイスは解散した。
それでも私は一人で六甲へ。ロックガーデンでビバークした夜、大阪大空襲の焼夷弾の落下を高見の見物した。細野(八方)のガイド大谷定雄氏の藁葺民宿(今、望翠荘)にスキーと服を預けっ放しにして国鉄に乗り、名古屋で空襲、座席を窓に押し当て、B29の通り過ぎるのを待ったこともある。黒菱までは全山人なしだった。
戦後、時々エーデルワイスの先輩方とは大阪で会ってはいたが、今や動けるのは私一人になってしまったらしい。淋しい。
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