正月始めの出会いは元気を確かめ合い、そして今年もガンバローを貰う時である。
正月とは思えない小春日和のJR相生駅へ降り立ったのは総勢23名であった。簡単な自己紹介と注意事項を受けたあと、登山口まで思い思いのストレッチをやりながら歩きだす。今回は東部霊園わきからの正面登山口を選んだので登山口に着くと体もほぐれ、薄らと汗がにじむほどになっていた。休憩を入れ、上りに備えスタイルを薄着に着替えたのち歩きだす。
天下台山頂までは市民の早朝登山であったり、気軽に登れる親しみの山らしく、コースはボランティアが整備をやっているようである。
正月に食べたご馳走、御神酒がメタボにならないよう賑やかに歩を進める。まず出合ったのが水戸大神行者堂標識で、コースから外れているが大岩を背にした小堂へ向かう。どんなお願いが聞き届けられるのか知るすべもないので、今年も元気で歩きたい旨伝えておいた。コースへ返し、露岩が被う展望の山頂に着いたのは 11:30であった。四周を遮る物のなく、冬の海特有の瀬戸内の海面のきらめきが暖かさを送ってくる。西播磨の低山が周囲を回り、北東の後背に吉備高原の山並みが背を揃えるのが見える。天気が良すぎ、風が弱かったので、現在進めている四国分水嶺踏査の山並みを捉える事が出来なかったのが残念であった。
天下台山から野瀬奥山
早発ちで腹の虫が鳴いて弁当を催促したがしばらく辛抱し、先へ進むことにする。馬場峠までの急坂を下り、峠に据わる地蔵に挨拶をしたあと、ダイセル播磨工場との境界を進むことになる。雑木帯に延びる有刺鉄線に沿った小さなアップダウンを行く。掴めない有刺鉄線がうらやましいのでしょう、
「うっとしい」とのささやきの励ましを貰いながら、野瀬奥山に着いたので弁当にする。
野瀬奥山からの天下台山
冬という感じがなく腰を据えゆったり気分の昼食を終え先へ進む。奥山展望台から家島群島、赤穂や日生の島々は見えたが、もやって小豆島の姿がなかった。有刺鉄線からは逃げることは出来ず、外れても直ぐ側へ寄ってくる。
戦前は馬場から野瀬峠越えの道があったが工場が出来たので道が寸断し人の往来も途絶えてしまった。以前、地蔵が据えられていたと思うのだが今回見かけなかった。まだ、地蔵の行き先は突き止めていない。
雄鷹山へ最後の上りを行く。この奥山山塊を廻る有刺鉄線に囲まれた地は、火薬を製造し、爆発事故の時、周囲に被害を及ぼさないための山中の工場なのである。雄鷹山々頂は小さな切り開きにダイセル播磨工場の敷地を示す看板と側に310.6mの四等三角点が収まっていた。一息付いたので鳩ヶ峰へ下り始める。
途中の展望岩に立ち室津の町に思いを馳せたのち、下りを降りきると鳩ヶ峰(冬峠)に出る。
室津で船を降りた西国大名はこの峠を越し、山陽道を東に江戸へ向かったのである。オランダ商館医であったシーボルトもこの峠を越え江戸へ向かった記録を残している。
ここで嫦峨山へのメンバーと室津へ向かうメンバーに分かれ案内役は室津街道を行く。途中「室津千軒」と言われていた当時の遺跡を彷彿する石組み、削平地を過ぎ国道へ出る。しばらく進み室津港への分岐を行くと潮の香する漁船を係留する港へ着く。
万葉の時代から江戸時代まで栄えた室津港の面影は薄らえたが、沖に浮かぶ「唐荷島」三島は当時から変わらないであろう。この瀬戸内の景勝の地を万葉歌人が多くの和歌に残している。嫦峨山のメンバーと賀茂神社で落ち合い、記念写真撮り、お夏の恋人清十郎の生家跡、浄運寺で遊女の祖と言われる友君の墓等をめぐり町並みの散策を終えバス停へ向かう。
バスの人になると睡魔に迎えられ山電網干駅まで心地良いイビキを奏でるひとときであった。
【コースタイム】JR相生駅9・30着(45発)--東部霊園10・23〜水戸大神11・00〜天下台山11・30〜馬場越え11・38〜野瀬奥山12・15(昼食)12・50〜奥山下展望台13・07 〜野瀬越13・22〜雄鷹山 13・50 〜鳩ヶ峰14・30〜室津・賀茂神社15・45(16・10発)〜浄運寺〜清十郎清家跡〜室津バス停16・25(16・43発)=山電網干駅17・15着(解散)
【参加者】新井 浩、新本政子、浦上芳啓、大塚宏圀、CP祐司、久保和恵、阪下幸一、阪下悦子、須磨岡輯、先水美智子、中島 隆、中谷絹子、秦 康夫、前田正彰、松波幹夫、宗實二郎、森沢義信、山内幸子、
18 名
【会員外】兼子衣代、小林優子、林 弘司、林 寿珠子、大和 紘、