支部山行 08−13   四国分水嶺踏査 U−F

大坂峠〜鵜峠〜

天狗岳〜大山〜鉢伏山

 

尾野益大


  

  大坂峠〜大楢〜北市場〜定久〜鵜峠  10月25日(土) 
                    
 徐々にクライマックスに近づく四国分水嶺踏査。泣いても笑っても今回を含めて4回きり。寂しく感じているのは、歩いた人間よりも多分、四国の山々の方であろう。特に今回の行程など関西から訪れてくれる人など滅多にいない山域である。われわれは「もう登らない山」になるような決心で歩を増やした。

  早朝5時の準備体操、

 空が白んできたころ登山口に着き、体操で体をほぐして山に分け入った。送電線巡視路の整った道だがむやみに道なりに行くと実際の方向とは離れる。中尾峠までに一度、そんな経験があった。峠は車道が越えていて「四国の道」の標識もあった。小ピークを経て再び道路に下り、県境の尾根に乗ると、踏み跡が進む方向に向っていた。

 生まれ変わって良い炭になるというウバメガシが目立った。樹間から播磨灘も望めた。山深い印象だが海は案外近かった。海風が届いてウバメガシの生育に適するのだろう。「徳島県の木」に選ばれているヤマモモの大木もあった。だれが植えたのだろうか。尾根の傾斜は緩やかだが、しかしひたすら続く凹凸を行く、という印象だった。チェンソーのエンジン音が響く斜面に出ると、ヒノキの香がした。木の伐採をしていたのだ。木の香はこんなに広範囲に漂うものかと感心した。清々しさが頭に抜けた。どんな方法で麓へ木を降ろすのかと思ったら林道が伐採地まで造られていた。

  4等△大楢への登り、

 この県境の道はほぼ全部、つづら折りでなく、まっすぐ突き上げていた。山に登っている実感がわく点で賛成だが、登山を趣味としない村人までがこうした厳しい道を歓迎しているのだろうか。
 標高700mを越えるとイヌブナが出てきた。幹周り2m級もあった。一方、最高地点の前後はやたらとイバラが茂っていて苦戦した。半袖で挑んだ会員の方は腕に数々の勲章を刻まれたようだ。最高地点は静かな里山だったが、辿った行程を考えるともっと大きなピークに登った気持ちがして少し満足だった。2等三角点があった。

  やっと鵜峠に

 鵜峠を越える旧車道は下の国道の分岐から通行止めになっていて、土砂崩れがしたり木が倒れたり、陥没していたりとひどく荒れていた。個人的には小学生のとき、自転車で越えて以来の再会で懐かしかった。

 鵜峠〜天井〜天狗岳〜大山〜大山越〜鉢伏山〜境手前  10月26日(日)
 
ヘッドランプをつけて鵜峠まで歩いた。寝ていたサルの群れを起こしたのは申し訳なかった。晴天の昨日と変って小雨の中、峠からマイナーピークの連なりを歩き始めた。
 道はよく踏まれていて幅も広かったが、人の気配が皆無だった。登山道の雰囲気もしない。赤いテープを所々に見たが、道標はなかった。それに歩いても歩いても誰一人会わない。

 大山越の激下りが続く、 

 マイクロウエーブや大山越、一本松越などの由緒ある街道で石造物を見たことは大きな変化だった。
 雨で展望がないことも手伝い「単調な道だねえ」と語り合いながら進んだ。龍神を祀っていたという祠があった。讃岐も阿波側もともにこの辺りは昔から水不足で知られた土地だった。やはり人の気配がする山は安心できる山でもある。
 昨日と比べて巡視路の道を辿る距離が長くなり、イバラをかき分ける苦労が減った。だが、良いことだけではない。凹凸は相変わらず多く、疲労が蓄積していることは確実だった。
 鉢伏山に到達するまで何度か偽ピークを踏まされ、ようやく本峰にたどり着いたころ、予定の時間より遅れていた。
 そのため計画を変更し、大坂峠の手前のあせび公園の更に手前で林道に出ることにした。
 四国の多くの岳人は低山の縦走を好まないように思うが、「阿讃山脈恐るべし」といえる山域を今回は歩いた。次回もそうなると思う。「山高きがゆえに尊からず、樹あるをもってよしとす」。日常生活と離れた山の世界で自分を取り戻し、自然や親しい人たちと語り合う経験は楽しくとても貴重だ。

(写真: 中島隆)

コースタイム
25日(土)
  大坂峠発6:17−中尾峠7:20−大楢8:04−北市場9:32
  −定久10:43−上畑山13:09−鵜峠15:33
26日(日)  鵜峠発6:20−丸住6:35−天井8:10−天狗岳9:57−大山11:01    −畑12:21−鉢伏山13:48−林道14:59
参加者  岩崎しのぶ 尾野益大 久保和恵(25日のみ) 久米久夫 阪下幸一 佐野加       代子、重廣恒夫(25日のみ) 滝由喜子 中島 隆 前田正彰 宗實慶子
       山内幸子 家段勝好 山本義博   計 14名