行政の責任転嫁としての自己責任論


田村義彦


 ◆ 大杉谷吊橋事故

31年前の1979年に、大阪の観光サークル一行が、吉野熊野国立公園大台ヶ原・大杉谷の吊橋の制札「一人ずつ渡ってください」を無視して強引に8名で渡ろうとして、ワイヤーの1本が切れ、1名が墜死1名が怪我をした。遺族が三重県と国の道路管理責任を求めて提訴。第一審の神戸地裁は、被告の現場検証要請を拒否し、原告側が用意した観光資料を鵜呑みにして、冠松次郎が「第二の黒部」と激賞した厳しい登山道をハイキングコースと事実誤認をして、三重県と国の管理責任を認めた。控訴審の大阪高裁も同様の判断をして、国と三重県が連帯して3676万円を支払うように命じた最高裁は1988年に、三重県については大阪高裁の判断を認めたが、国については原判決を破棄して第一審判決を取り消し、遺族の請求を棄却した。

この誤判によって行政内部では、利用者の安全が国立公園の本質論を越えた至上命題になった。行政の責任回避のための「過剰施設整備」が安全の美名のもとに全国各地の国立公園で行われ、原生的自然が破壊された。

因みに大杉谷では1981年から15年をかけて、37000万円の巨費を投じて、吊橋11基、鋼桁4基、手鎖1832mなど耐用年数60年の過剰整備が行なわれた。(ところが、2004年の台風でこれらの整備カが完膚なきまでに破壊され、20年余りしか持たなかったこととなった。復旧工事は現在まだ計画段階で、歩けるようになるには5年以上かかるであろう。)

 『自然保護事典@[山と森林]』「過剰施設整備と大杉谷の自然」 緑風出版 1989 
山岳遭難の法的責任を考えるページ 「大杉谷吊橋事故の損害賠償請求訴訟とその影響」 2005/5/30

「元の姿に戻った大杉谷をそのままに」 2007/03/08

◆ 奥入瀬渓谷・城ヶ倉渓谷事故

 ところが2003年に、十和田八幡平国立公園奥入瀬渓谷の遊歩道で昼食をとっていた女性の観光客に、地上10メートルの高さから長さ約7m、直径2040cmのブナの枯枝が落下して両足マヒの重傷を負い、国と青森県に損害賠償請求の提訴。一審では国と県の瑕疵責任を認め、二審でも20064月に1億9000万円の支払いを命じた。国と県は最高裁に上告した。

又、2000年には、同じく十和田八幡平国立公園城ヶ倉渓谷渓流歩道で男性の登山者が落石を受けて渓流に転落死亡した。損害賠償請求訴訟で、一審は青森市の管理責任を認めて2007年5月に2584万円の賠償を命じた。青森市は控訴を断念して賠償金を盛り込んだ3461万円の予算要求を市会に提出した。

現在閉鎖されている渓流歩道の再開は厳しいと市は述べているという。(渓流歩道は70年以上前に当時の青森営林署が設置し、40年程前から青森市が管理してきた。)

◆ 林野庁の責任転嫁

 さて、このように行政の管理責任を厳しく求める判決を受けて、行政は責任回避から責任転嫁に転じた。林野庁は早速『国有林野使用許可書』を改訂した。林野庁が現在、公共団体・レジャー関連企業・山小屋などに貸しつけている土地は約5万件あるそうだが、それらに対して「安全確保義務」を強化した。第16条に「事業者は第三者(登山者)の安全確保のため、使用許可物件またはその周辺の国有林において、注意標識の設置、立ち入り規制、危険木の処置など、必要な処置を講じなければならない。」とした。登山者の事故についてのすべての賠償責任を義務付け、そのための賠償責任保険への加入を義務付けた。山小屋関係者は負担が大き過ぎると困惑しているが、「安全確保義務」が登山道全域に及ぶのではないかと心配している。


◆ 環境省の責任転嫁

 一方、環境省の施設整備にも大きな影響を与えた。例えば大峰山系和佐又大普賢岳線歩道は、昭和30年代初頭に和佐又山スキー場開設が計画された時に無双洞を世に出そうと開設され、現在天ヶ瀬財産区で維持管理している。しかし、技術も体力もない観光登山者の滑落・転落事故が毎年のように続き、根を上げた財産区と地元自治体が環境省に登山道整備を求め、環境省が直轄事業として行なう大峰山系では初めての施設整備事業となった。

 環境省は入念に現地調査を行い、現地説明会を開いて関係者の意見を聴取して検討した結果、本年3月、次の方針を下した。「現地は特に急傾斜ではなく、歩道幅50cmが確保されている。事故は体力の衰えなど登山者側に原因があって登山道の整備によって完全に防ぐことはできない。注意喚起を目的とした標識類の整備によって適切な情報提供を行い、経過を見る。」

奈良県はいままでに、大台ヶ原は勿論、大峰山系においてもほぼ全域にわたって登山道の過剰整備を尽くした。この登山道も奈良県の手にかかれば、有無を言わさず過剰整備をしたであろう。ところが、環境省は上記の方針を出して、登山道整備を1ヶ所に限り、「注意喚起、啓発の標識を新設」することにした。この整備方針は自然保護優先の立場からは評価できる。

峰歩道第2回現地説明会報告「環境省の模索と決断」2007/3/24 >

笙ノ窟谷に古道を求 2007/5/15 >

「和佐又大普賢岳線歩道整備についての意見」2007/11/7


 しかしながら、今に至って考えると、この整備方針を、登山の本質に関わる自己責任論だけで評価する訳にはいかない。何故なら、自然保護を越えた登山者への責任転嫁の本音が見えてくるからである。

判決が大きく影を落した象徴的事例を挙げる。この登山道の途中にある無双洞周辺を登山者が休憩場所としてきたが、環境省は「上部に根の浮いたトチの大木があり、直上の登山道から落石の危険性があるので、休憩時の危険回避のために」「倒木注意:上部のトチノキの大木の根元が侵食され、倒れる可能性があります」「落石注意:上からの落石があります。このあたりでの休憩はやめましょう」の看板を立てることにした。「休憩・倒木・落石」は正に奥入瀬・城ヶ倉渓谷の判決で用いられた言葉である。筆者は登山の本質を否定する滑稽でお節介な看板などは不必要だと反対したが、看板を必要としたのは登山者ではなく環境省だったことに後になって気付いた。

◆ 登山の本質的自己責任論と似て非なる責任転嫁論

 もともと危険に満ちた自然の中での登山という行為は危険なもので、自己責任が原則である。ところが、登山大衆化のなかで、登山を国民の権利と規定してより安全により楽に登らせろと主張する動きが根強く存在するが、法律が登山や登山道に関して何も規定していない以上この要求の法的根拠は曖昧である。しかも、現在の登山大衆の低い質からすれば、整備をすればかえって安易な気持ちで危険な場所に入ってくる人が増えて、事故は増え続けている。この登山道での事故もその傾向が強く、その限りにおいては環境省の判断は正しい。しかし、その判断にもろ手をあげて賛同できないのは、くりかえすが、その判断の底に、自己責任論を棚上げした登山者への責任転嫁を感じるからである。

◆ 自然保護最優先でない整備方針

本来、「必要最小限度の整備」は自然保護最優先の発想から為されるべきであるが、この整備方針にはそれが感じられない。行政は、かつては誤判に対して自然保護を捨てて「登山者の安全」の美名の下に「過剰整備」で反応したが、最近は逆に「環境省の安全」のために「整備しない」姿勢に転換したといえよう。下手に整備をすれば管理責任が問われるので、できるだけ関わらないほうがよい、という考えに変ってきたようで、残念ながら自然保護優先ではない。過剰整備と「必要最小限度の整備」は現象としては対極にあるが、その底に共通して流れるのは行政の責任転嫁の姿勢である。

裁判の影響だけではない。環境省(庁)は従来、地方自治体に半額の補助金で丸投げしてきたが、直轄事業になって他人事でなくなり、政策転換をせざるを得なかった。

過剰整備が行なわれなければ、自然保護の意味で市民は歓迎できるが、単純にそれだけでは喜べない皮肉な現象といえる。

◆ まっとうな自己責任論を

 日本山岳会自然保護委員会の「山と環境ネットワーク登山道部会」で「登山者の自己責任について」の論議を深めようとしているが、登山が本質的にかかえる自己責任と、行政が責任回避のために登山者に転嫁してくる自己責任は峻別して論議しなければならないと感じている。しかも、行政の自己責任論には自然保護の視点が欠けているだけに論議は注意深く行なわなければならないと考えている。2007/12/15日本山岳会自然保護全国集会での発言に加筆して)